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さかたけいけん
坂田警軒
【1839 - 1899】

●掲載ページ : 30

●活躍分野 : 教育者

 坂田警軒は、朗廬の甥で、朗廬と同じく川上郡九名村(現在の井原市美星町)に生まれた。桜渓塾、興譲館で朗廬恭夫妻によって家族同様に教育され、その後、肥後(現在の熊本県)や江戸に遊学した。明治元年(1868)に朗廬が広島藩に招かれたため、二代目館長に就任し、明治維新後に経営が悪化した興譲館の運営に努め、地域の子弟の教育にあたった。
 警軒は、教育者・漢学者として有名であるが、政治家としても活躍している。明治初めの自由民権運動にも早くから参加しており、明治12年(1879)に岡山県会議員に選出され、初代議長に就いている。また、国会開設にも尽力しており、地方の意見のとりまとめなどを行っている。
翌年、興譲館の運営に専念するため県議会議員を辞職するが、明治20年(1887)に同志社に招かれ、興譲館を奥田諫山に託して京都へ出る。明治23年(1890)国会が開設されると衆議院議員に選ばれ、2期にわたって国政にあたっている。明治26年には、東京に移り、慶応義塾や東京高等師範などの講師を勤めた。


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