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うちやまかんぞう
内山完造


 年代     1885 - 1959
 掲載ページ  46
 活躍分野   その他

 内山完造は、後月郡芳井村(現在の井原市芳井町)に生まれ、明治30年、商店に丁稚奉公するために大阪へ出る。28歳のとき参天堂に入り、参天堂目薬の中国での広告と販売を任せら、上海へ移住する。完造は、薬の売り込みのために中国や台湾を出歩き、留守の間教会へ通っていた妻のみきが、日本語の聖書の乏しいことに気づき、日本から賛美歌や聖書を取り寄せて在留邦人に売ったところ好評となる。
 その後、完造も書籍の販売に乗り気になり、大正6年、薬の販売のかたわら文学書、雑誌、専門書を仕入れるようになる。これが内山書店の誕生である。中国人からの依頼もあり、大正13年には本格的な店舗を構えるほどになる。書店は、本を買いにくるだけではなく、お茶を飲みながら雑談をする人が多く集まるサロン的な場所であった。そこには、日本人、中国人関係なく集まり、魯迅や郭沫若などもこのサロンのメンバーであった。
 昭和20年、敗戦と同時に書店は、中国に接収され幕を閉じ、完造も日本へ強制送還させられる。帰国後は、中国と中国人を理解してもらうため全国をまわって講演活動し、日本と中国の友好関係回復を訴え続けた。また、昭和25年、日中友好協会ができると理事長に就任し、朝鮮戦争勃発依頼冷え切っていた中国との講和条約締結のために尽力した。昭和34年、結核や糖尿病を患っていた完造は、中国の友人の招きで中国に病気療養のため訪れたが、北京に着いた翌日脳溢血のため亡くなった。